どすみちゃん日記

一人暮らし、どすみちゃん

茄子デザインスタジオ

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ていう名前にしようかな。茄子好き。

今日は部屋の掃除をしました。カレンダーが四月から進んでなかった。使いたいけど今まで使ってなかったものは結局使いづらい。あちこちから本が出てきた。だいたい読んでない。とりあえず紐がついてないやつには先に栞を挟んでおいた。

掃除機だけは頻繁にかけている。掃除機をかけるたびに近所の人のことを考える。最近泣いてないなーとか思われてるかな?両隣の人は居なくなったし、誰も知らないかな。誰もいないのに何故わんわん声をあげて体力を消耗して泣くのかと泣いてる時も思ってた。誰もいなくても自分がいるんだって?自分を大切に的な、自分を客体化する表現の中でも特に腑に落ちないのが、自分が(自分を)見ている、というものだ。自転車の乗り方が分からないみたいな感覚に近い。考え方が逆なんだろうね。泣いてる自分を切り離して見る方の自分を主とすべきところ、泣いてる方の自分が主のまま別の自分を周囲に降臨させようったって無理なんだな。何を欲しているんだ?「いいね!」なのか?でも今の自分があのとき泣いていた自分を見ているといえば見ているんだよね。去年の10月なんて何食べて何考えてたか覚えてない。ドーナツを買って行って、まだ少し笑って話していたっけ?帰ってから悔しくて泣いてたっけ?ああ、思い出さなくていいから。頭の中がどうなってどんな感情だったか忘れて他人になっていく。いや、まだ引きずるんだ。いや、縋り付くな。捨ててしまお。古い思い出は。重荷になるだけ。もう他人でもいい。いつか他人ごとのように思い出せばいい。罪は償われる。一秒でも気楽に過ごしたい。もっと昔の懐かしいもの思い出したときの否定的な気持ち(ダサいとか)を乗り越えて自分の根っこから肯定できるようになりたい。今が一番可愛いけど昔の自分も可愛いと思えるように。