どすみちゃん日記

一人暮らし、どすみちゃん

お祈りが言葉になったことある?

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地元の神社すき。適当なところへ参っては五円を投げて、ちょっとの時間、自分の願いに向き合う。何を本当に願っているのか。プライオリティを明らかに、できません。漠然と、言葉にならないイメージを頭に思い浮かべて、ごにゃごにゃとしたまま目を開けてしまう。学生の頃は「自分らしく」を強く願っていたと思う。何をするにしろ私が私のままでありますように。自分に一番良い選択ができるように。かけがえのない存在になれるように。最近もそんなに変わってないのかな。一緒に居たい人とか環境もまるごとうまくいきますようにってかんじかな。

大学院を出てすぐ、その前後の時期は特に「自分らしさ」が揺らぎまくっていたんだと思う。好きな人にも「自分らしさ」を投影して依存していたから、それが自分の思うようにならないこと、離れていくことが、ただごとじゃなかった。しかも、お互いが似ていることを理由に遠ざけられたり、わたしだけが走り過ぎたせいで「置いて行かれた」と言われたり、大混乱だ。わたしが全部悪いってことだ。まだ生々しく思い出して傷付きます。でも会いたかった。やっぱり会ったら殴りかかって泣いて謝ろうと大学のベンチに座って考えていた。

 

自宅に戻り、3日ぶりにラインした。今日は話が続かない。既読がついて、返ってこない。返しづらそう。わたしも返しづらい。そんな大した話じゃないのに。こういうとき電話したらいいの?どういうとき電話するの?

でもこういう寂しいときこそ最重量級になってしまうから離れなければいけない。資格の勉強するとか優等生のやり方で自己肯定感上げたほうがいい。誰が居ようと、結局は死ぬまで一人で泣くしかない時間はあるんだと思う。

 

殴るために、会いたいって連絡して当然のように完全に無視されてまたダバダバ泣きたいと思ってしまう。泣くまでがセットになってるから、泣いたあとのスッキリが愛だ・必要だと脳が勘違いしているのかもしれない。

おととい偶然会った憧れの先輩が展示するからと教えてくれたやつに天使くんも名を連ねていたから、会って殴りかかる計画が始まってしまった。

可愛くなりたい